2011年1月11日火曜日

性善説と性悪説


孟子の言う性善説と荀子の言う性悪説を図で説明してみよう。
人間は、霊と肉の二重構造になっているが、心もまた二重構造になっている。
人は誰でも天の理法に通じる生心と情を司る肉心を持っている
この情を司る肉心が善にも悪にも傾くという性質を持っている。
孟子はあらゆる人に善の兆しが先天的に備わっていると断定した。「性善説」である。
その証拠として人は誰から教わらなくても四端の心 を持ち、それが善のはしり、兆しであるとした。
これは、人に内在する天の理法であり、図で表すところの生心の働きの部分である。
人は、修養することによってこれら四端の心 を拡充し、「仁・義・礼・智」という4つの徳を顕現させ、聖人・君子へと至ることができるとする。

これに対し荀子は、「善」を「治」、「悪」を「乱」と規定し、また人間の本性は「限度のない欲望」だと説いた。
各人がそれぞれ無限の欲望を満たそうとすれば、奪い合い・殺し合いが生じて社会は「乱」=「悪」に陥る、と述べてその性悪説を論証した。
この限度のない欲望とは、図に表すところの肉心の中の肉情の働きである。
通常の人間は生心の働きより肉心の働きの方が強いために良心の働きかけを無視し、自己のの欲望を果たすことに奔走してしまう。
しかし、その欲望を野放しにしてしまうとこの社会は限りなく悪が蔓延してしまうため、荀子は学問により道(天の理法)を習得し、礼という規範によって、肉情の働きを規制する必要性を説いたのである。

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