2011年1月25日火曜日

王陽明


明代中期、王守仁(号は陽明)は、朱熹が理を窮めるために掲げた方法の一つである大学の「格物致知」について新しい解釈をもたらした。朱熹は「格物」を「物に格(いた)る」として事物に存在する理を一つ一つ体得していくとしたのに対し、王守仁はこれを「物を格(ただ)す」とし、陸九淵の心即理説を引用して、理は事事物物という心に外在的に存在するのではなく、事事物物に対している心の内の発動に存在するのだとした。「致知」については孟子にある「良知」を先天的な道徳知とし、その良知を遮られることなく発揮する「致良知」(良知を致す)だとした。そこでは知と実践の同時性が強調され、知行同一(知行合一)が唱えられた。致良知の工夫として初期には静坐澄心を教えたが、ともすれば門人が禅に流れる弊があるのを鑑み、事上磨練を説いた。また道学の「聖人、学んでいたるべし」に対し、人は本来的に聖人であるとする「満街聖人」(街中の人が聖人)という新たな聖人観をもたらした。王守仁の学は陽明学派(姚江学派)として一派をなし、世に流行することになった。
陽明は、彼の時代における社会、ことにその官僚社会の堕落と混乱の原因を、人々の心にわだかまる功利主義・個人主義にあると見た。世人は互いに知識を誇りあい、勢力を競い合い、利益を争いあい、技能を自慢しあい、名声栄誉を貪りあう。そこには天理・良知の働きは影を潜め、あるのはただ自分一個の立身出世を念とする、安易軽薄な功利主義・個人主義の人欲のみである。彼らにあっては、学問も知識もただ立身出世や、ひいては名誉欲、地位欲などの欲望を満足させるための道具に過ぎない。世間の評判をとり、栄誉を求めるための手段に過ぎない。となれば頭に詰め込む記憶暗誦的な学問の堆積は、その傲慢を助長し、知識の豊富さは、その悪事を働く助けとなり、見聞の広さは、その弁舌を振るうのに役立ち、文章の巧みさは、その欺瞞を飾る手段となる。
 李卓吾は、士大夫に対して、仮(にせ)、端的に言えば偽善者と非難した。彼が生きた明代は「金瓶梅」が書かれたり、著名な詩人がひいきの妓女のくつをお猪口にして持ち歩くなどの行動に見られるように文化爛熟あるいは退廃の時代であった。その支配イデオロギーは儒教の中でも特にリゴリズムの傾向が強い朱子学であった。士大夫は口を開けば仁義を唱え、立派なことをいうが、実際の行動はそれに伴っていないことがままあった。卓吾は、士大夫のこうしたダブルスタンダードに対し激しく反発し、士大夫やその価値観を激しく痛罵した。
士大夫(したいふ)とは、中国の北宋以降で、科挙官僚・地主・文人の三者を兼ね備えた者である。
*金瓶梅 それぞれ金(かね)、酒、色事を意味するとも言われる 

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