もちろん一般の人の心も、本来は決して聖人と異なったものではなかったが、彼らの場合は、自己中心の私情に妨げられ、物欲の障害に隔てられた結果、広大なるべき心が矮小となり、他人と通じ合っていた心も塞がり、人それぞれに私心を抱いて一人一人の心がバラバラになってしまった結果、遂には親子兄弟を仇敵視する者さえでてきてしまったのである。
心にある良知こそ最高のものである。我々の目指す聖人になる為の学問は、ただこの良知を発現すること、これに尽きる。それを無理なくできるのが聖人、努力してできるのが賢人である。私欲に蔽われて、あえて良知を発現しようとしないのは愚かな人間である
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